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CFA協会ブログ

No. 588

2022年9月2日               

2つのスーツの物語:キャリアを成功に導く三種の神器

A Tale of Two Suits: The Three Capitals of Career Success

ポール・マキャフリー(Paul McCaffrey)

金融業界で成功するための鍵は何でしょうか?

エリック・シム、CFA(Eric Sim, CFA)は、この問いを何度も考えてきました。大学講師や作家として、学生や読者に論理的な枠組みを提供する必要がありましたが、20数種類の脈絡のないヒントでは不十分だったのです。そこで、彼は自分の職業人生を振り返ってみました。シンガポールで10代の頃、父親が経営するエビ麺屋で丼を洗っていた彼が、UBSのマネージング・ディレクターになり、経済的自立を達成するまでには、どのような経緯があったのでしょうか。一見ランダムに見える紆余曲折、予期せぬ挫折、同じく予期せぬ幸運を、理解しやすい物語に結びつける共通項は何だったのでしょうか。

結局は資本だ、とシムは結論付けました。具体的には、人的資本、金融資本、社会的資本です。成功したところには、そのような資本が不可欠でしたし、失敗したところには、何らかの資本の不足がその決定打となっていたのです。

では、この3つの資本とは何で、シムのキャリアにどのように影響力を発揮してきたのでしょうか。

 

人的資本

「人的資本とは、私達の知識やスキルのことです。私達は、人々の役に立つために人的資本を持つ必要があるのです。そして、人の役に立つと、他の資本を構築することができるのです。」とシムは言いました。教育や経験によって人的資本を得ることができます。家族で初めて大学に進学したシムは、シンガポール国立大学の工学部を卒業しました。理系の学士号というのは明らかに不利でしたが、それでも混雑したナイトクラブでドリンクを提供しながら学んだという逸話のおかげで、DBS銀行の法人営業職に就くことができたのです。

その後、シムは2年間の外国為替業務に従事した後、大きなチャンスを掴もうと決心ました。そこで登場したのが金融資本です。

 

金融資本:ロレックス(Rolex)ではなく、タイメックス(Timex)

ブルーカラー出身のシムは、銀行や金融機関のボーナス文化にほとんど馴染みがなかったのです。「私が銀行員だった頃、ボーナスをもらった時、多くの同僚が大きな休暇をとったんです。時計を買って3万ドルも使う人もいました。」と彼は振り返りました。

しかし、そのようなものは彼にとっては意味がなかったのです。

「誰があなたの手を見るの?私は人の時計を見ないし、誰も私の時計は見ないと思っている。それなのに、なぜお金を使うのか?」とシムは言いました。

そこで、シムは大金をはたいて高級なロレックスを買うよりも、タイメックスを買い、残りを株式に投資しました。そして、自分の将来に賭ける準備ができた時、彼は自分自身とイギリスのランカスター大学のファイナンス修士課程に投資するために3万ドルを手に入れたのです。

シムは入念に調べました。10ヶ月のプログラムは最も経済的で、彼が支払うことのできる唯一のものでした。ロンドンでの同様のプログラムは彼の価格帯をはるかに超えていましたが、もしランカスター大学で良い成績を収めれば、道が開け、新たな世界に繋がるかもしれない、と思っていました。

「3万ドル使って、ロンドンで働いて稼ぎ、自分の運命を少しでも変えることができる」と思いました。

 

カルチャー・ショック

しかし、想定していた程うまくは行きませんでした。まず、地球の裏側にある新しい文化に適応することが必要でした。見たこともない目新しいものがあふれていました。シンガポールで育ったので、シムは羊を見たことがありませんでした。羊が寝室の窓の外で草を食べているのです。食費や住居費の高さも予想外でした。「何もかもが思っていたより3倍も4倍も高い。毎食ピザ1切れ以外、何も食べられなかった…。 ピザ1切れは満腹にならない。」と彼は言いました。

しかし、カルチャー・ショックはそれだけに留まりませんでした。英語を母国語としないシムは、自動的に不利な立場に立たされることになりました。裕福でもなく、旅慣れしているわけでもなく、初めて家族や友人から遠く離れた場所で過ごしていました。また、不安もありました。シンガポールの植民地支配の遺産が、彼の自信に影響を与えました。実際、イギリスに来て、初めて白人が建築現場でレンガを積んだり、セメントを混ぜたりしているのを見て、驚いたのでした。「びっくりしましたよ。白人が建設作業をしているなんて、生まれて初めて見た。だから、ショックでした。」と彼は言いました。

「私はこの植民地的な考え方にやられました。シンガポールで私は食品を売っており、読書の幅も狭かったので、競争に勝てるとは思っていませんでした。」とシムは続けました。

そんな疑念は金融数学の授業ですぐに解消されました。ケンブリッジ大学で学んだ仲間達と机を並べ、シムは皆を圧倒して、クラスでトップの成績を収めました。これを彼は常に繰り返したのです。

ランカスター大学での10カ月を経て、シムは自信を持ち、次のステップに進む準備ができました。クラスメートと絆を深め、友情を育み、学業も秀でていました。ロンドンで金融関係の仕事に就き、次のキャリアをスタートさせることができる、と確信していました。

しかし、その前にスーツが必要でした。

 

チキン・スーツ

学問によって人的資本は向上しても、金融資本はそうはいきません。貯金は全てなくなり、新しいビジネススーツと、面接のためのロンドン滞在数日分の資金を何とか工面しなければなりませんでした。シンガポールではその暑い気候から襟付きシャツ、ネクタイ、ドレスパンツのビジネススタイルが定着していましたが、ロンドンは違いました。シムは服を買いに行ったのですが、有名な紳士服の仕立て屋が並ぶサヴィル・ロウ(Savile Row)は選択肢となりませんでした。お金がないシムは、オックスファム(Oxfam)という慈善団体に行くしかなかったのですが、そこでは中古のスーツはほとんどありませんでした。

「もちろん、僕のサイズはなかったよ。アジアでは、私はすでに小さい方なんです。イギリスでは、さらに小さいんです。だから、ニワトリ(chicken)が一羽隠れそうなほど大きなスーツを買ってしまったんです。」とシムは言いました。

そのサイズの合わないダブルのスーツは、面接を実施した仕立ての良いスーツを纏ったロンドンのバンカー達に良い印象を与えることはありませんでした。

「バカバカしい。GoldmanやMorgan Stanleyの面接に合格できるわけがない。全ての面接が早く終わり、電話もかかってきませんでした。」とシムは言いました。

金融資本についての貴重な教訓でした。

 

社会的資本

社会的資本は成功するために必要な第三の資本ですが、では社会的資本とは何でしょうか?人的資本や金融資本とは異なり、もう少し微妙で目に見えるものではありません。

「人に敬意をもって接し、人を助けると、社会的資本が蓄積されます。銀行口座にお金を預けるようなものです。社会的資本を持つには、人々に提供するものが必要です。なぜ、人はあなたのところにやってくるのでしょうね?」とシムは言います。

シムにはスーツを買うだけの資金力はありませんでしたが、社会的資本があれば、それを補うことができたはずでした。もし、彼がもっとイギリスにおける人脈があれば、すなわち、近くに家族がいたり、その国で自分の能力を発揮できるような仕事の実績があれば、お金を借りたり、かつての同僚から他の仕事を紹介してもらったりできたかもしれません。しかし、彼にはそのような強力な人脈がなかったのです。

「クラスメートとの社会的資本は良好でしたが、全員が就職活動中だったのです。だから、誰も私を助けることができなったのです。」と彼は言いました。そのため、シムの頭の中での計算結果は変わりませんでした。イギリスでの金融資本や社会的資本が欠如していたこと、言い換えれば、いいスーツを買うための300ポンドを現金やクレジットカードで用意できないということは、ロンドンで新たな仕事を見つけることができない、ということを意味したのです。

そこでシムは、二度と同じ過ちを犯さないようにしよう、と心に決めました。

「能力の問題でうまく行かないなら、それはそれでいいんです。でも、着ているものが原因でうまく行かないなんて、あり得ない。」

ロンドンでの仕事もなく、お金も残っていなかったので、仕方なくシンガポールへ帰国し、1997年のアジア経済危機の真っ只中に飛び込んだのでした。

 

仕事における社会的資本

修士号を取得したものの、金融危機の影響で金融関係の仕事は少なくなっていました。そこでシムは、スタンダードチャータード銀行(Standard Chartered Bank)でリスクマネジメントの仕事に就くことにしました。そこでの在籍時にCFAの勉強をして取得しました。

なぜCFAなのでしょうか?それは、カリキュラムに沿って学習することで人的資本が得られるからです。厳しい学習課程は、彼の仕事をより素晴らしいものにし、金融の他の分野の知識を広げました。そして、彼は自分が習得した内容を周囲に知らしめることができたのです。中国の金融専門家は、ランカスター大学の詳細を知らないかもしれないし、フランクフルトの金融専門家はシンガポール国立大学のことを知らないかもしれません。でも、この3つの頭文字はみんな知っているんです。どの国に行っても、CFAという呼称を認めてくれるんです。」と彼は言いました。

スタンダードチャータード銀行で4年間働いた後、シムは自分のキャリアを新しい方向に進ませたいと考えていました。しかし、自分が型にはまった人間であることに気付いてしまったのです。「リスク管理が専門だから、リスク管理担当としてしか雇ってもらえないのです。」と彼は言いました。

しかし、そこで培った社会的資本が功を奏したのです。DBS銀行の元同僚のテレンス(Terence)が電話をかけてきたのでした。「エリック、うちの上司が君のようなスキルを持った人を探しているんだ。やってみる気はないか?」

それは、Citiのアジア・リスク・アドバイザリー・デスクのフロントのポジションでした。シムは「大きなキャリア・アップだった」と言いました。そして、3度の面接を経て、採用が決まったのです。

その後、Citiで8年間、シムは仕事で秀でることに専念すると同時に、社会的資本を蓄積する努力もしました。

「出世街道まっしぐらの人達の中には、彼らの若手の頃を自分が知っている人がたくさんいました。そして、私は彼らをサポートしていたので、彼らがシニア・ポジションとなった際に、仕事を紹介してくれたり、正しい方向を示してくれたりしました。資本が大きく育ったのです。コーヒー1杯でも奢れば、10年後にはその親切を覚えていてくれるかもしれません。もちろん、見返りを期待しないことが大切ですがね。」と彼は言いました。

 

社会的資本の基盤となるもの:信頼

2011年、シムのキャリアは頂点に達しました。友人で同僚のポール(Paul)がUBSに転職し、マネージング・ディレクターの募集があったとき、シムを推薦してくれたのです。そして、9度の面接を経て採用されました。

「どうやって仕事を得たかって?マネージング・ディレクターの職は、多くの人が欲しがるが公に宣伝されているわけではありません。ここでも、ポールとの間の社会的資本の存在が大きかったのです。私達はCitiでは別の部署の同僚でした。しかし、私は公平であるよう努め、取引を成立させれば、その手柄を分け合いました。そのように関係を築いていれば、空きのポジションがあれば、きっとみんなはあなたのことを思い出します。」とシムは言いました。

では、シムがテレンスやポールと築いた社会的資本の鍵は何だったのでしょうか。それは、人的資本やキャリアを通じてこれまで培ってきたスキルや専門知識だけではなかったのです。それは、「信頼」に他ならないのです。「社会的資本を蓄積するには、親密さに加え、信頼が必要なのです。」と彼は言いました。

17歳の時、兵役義務が始まる直前、シムは父親が経営するラーメン屋で皿洗いをしていました。屋台には水道の蛇口が1つしかなく、父親は調理にその蛇口が必要でした。そこで、ラーメン麺鉢を洗うのに三段階の洗浄方式を採用しました。最初のバケツには水と洗浄液を入れ、次の2つのバケツにはきれいな水を入れました。洗浄液の入ったバケツにラーメン麺鉢を沈め、スポンジで汚れを落とし、きれいな水の入ったバケツに次々とつけては、乾かしてまた使うのです。

しかし、ある時シムは自分の昼食の準備のために、その3段階の洗浄工程を経たボウルの1つを取り出し、再び蛇口の下で洗ったことがありました。「自分用に料理をしている時に、自分の洗ったものが信用できなかったんです。」と彼は言いました。

お客さんもいないし、誰もシムのしたことを見ていないのに、父親はやさしく、しかし厳しくシムに語りかけた。「そんなことはするな。お客さん用のものがきれいに洗えているなら、お前のもきれいに洗えているはずだ。」

この忠告はシムの心に深く刻み込まれ、職業人生を通じてこの原則を貫きました。

「監視されながら仕事をするのは大変なことです。しかし、誰も見ていない時こそ、より厳しい基準を維持しなければならないので、さらに大変なのです。」とシムは言いました。

これが、彼のキャリアにおける大きな差別化要因だと考えています。人的資本は、仕事をうまくこなすための技術的なスキルを与え、金融資本は必要な教育を受けるのに役立ちましたが、社会的資本とその上に築かれた信頼こそが彼のキャリアを真に前進させたのです。

「それは信頼から来たもの。だから、みんな自分の頭や首を賭けてくれるんです。」とシムは言いました。

今年初め、ビジネス書の授賞式のためにロンドンに戻ったシムは、昔の失敗を繰り返さないようにと思っていました。この日のために特別に仕立てたタキシードには、ニワトリを隠すスペースはありませんでした。

エリック・シム、CFAについてもっと知りたい方は、" Small Actions: Leading Your Career to Big Success"をお見逃しなく。

 

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(翻訳者:篠原 央士、CFA)

 

英文オリジナル記事はこちら

https://blogs.cfainstitute.org/investor/2022/08/25/a-tale-of-two-suits-the-three-capitals-of-career-success/

 

注) 当記事はCFA協会(CFA Institute)のブログ記事を日本CFA協会が翻訳したものです。日本語版および英語版で内容に相違が生じている場合には、英語版の内容が優先します。記事内容は執筆者の個人的見解であり、投資助言を意図するものではありません。

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