592

CFA協会ブログ

No. 592

2022年9月30日               

インフレーションゲーム:戦争、平和、そして、中央銀行の危機

The Inflation Game: War, Peace, and the Perils of Central Banking

  「下降は常に上昇よりも急激です。穴を開けた風船がお行儀よくしぼむことはありません。」 (ジョン・ケネス・ガルブレイス

   2022年7月、私は家族と一緒に、ロンドンとフランスのノルマンディーを旅行しました。旅の主な目的は、ノルマンディーで義父に会うためでした、というのも義父は第二次世界大戦の潮目を変えた場所を訪れたいとの願いをずっと抱えていたからです。その時、私はこの小旅行が今日の経済情勢にそれほど大きく関連しているとは気がつきませんでした。

   2022年9月21日、米国FRBは、フェデラルファンドレートを3回連続で0.75%の利上げに踏み切り、インフレ抑制の姿勢を一段と鮮明にしました。また、Fedは、今後もさらなる金融引締めを行い、それは少なくとも来年いっぱい継続するだろうと警告しました。

針の穴に糸を通す

   Fedは、困難な立場に立たされています:国民には、差し迫った経済的な苦痛に備えてもらわなければなりませんが、パニックを煽ることはできません。それでも、現実的には、リセッションはもう避けることのできない状況です。なぜでしょうか? Fedは、極端な経済状況に陥った場合でも、その状況を逆転させるために使えるのは、直接的な政策手段しかないからです。このことは、うまくソフトランディングさせることが極めて困難であるということを意味しています。過去に発生した同じようなイベントである、1920年代と1979年から81年にかけての引き締め時期においても、深刻な経済縮小を引き起こしました。

   ロンドン滞在中、私は息子と、(ロンドンの) スレッド・ニードル街にあるイングランド銀行博物館を訪れ、そこでインフレーションゲームを行いました。

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   目標は、2%のインフレーションマークがつけられたエアチューブの真ん中にある鉄球のバランスをとることです。プレイヤー(または迷惑な父親)は、「経済ショック」ボタンを押して、チューブを揺らします、するとボールはバランスを失い、チューブの中で左(デフレーション)または右(インフレーション)、いずれかの端までさまようことになります。私の息子は、必死になってボールを目標に戻そうとします、そして何度も行き過ぎたりしながら、最後には2%の目標の中に収めます。

   このインフレーションゲームは、2020年3月に新型コロナウイルス感染症のパンデミックが始まって以来のFedの苦しい状況を完璧に表現しています。第一に、途方もない経済ショックがボールを左のほうに吹き飛ばします。これに対して、Fedや連邦政府は、厳しいデフレーションや不況に陥る危険を回避するために、経済に潤沢な資金を提供して対応を図ります。そうして、2022年、(今度は)過剰な刺激によって、ボールははるか右のほうに飛ばされ、激しいインフレーションを引き起こすことになったため、Fedは反対方向に舵を切りました。これで、快適な2%という目標にうまく戻すどころか、まさに再び目標から遠くへ、正反対の方向に追いやってしまうことになりそうなのです。

大恐慌の人的損害

   この金融引き締めの結果、ボールはいとも簡単に中間点から大きく外れてしまいました。そして、資産価値の下落、雇用の喪失、将来への不安といった形で、経済的な痛みをもたらします。とは言え、Fed がその責任を軽んじているわけではありません。Fed の指導者は、その政策が短期的な痛みをもたらすことを知っていますが、政策の失敗、あるいは何もしないことの長期的な結果のほうがはるかに深刻であることも知っています。

   そうして、私たちは旅の2回目の訪問地に向かいました。フランスのノルマンディーです。世界恐慌が始まった後、わずか10年足らずで第二次世界大戦が勃発したのは、決して偶然ではありません。1929年、ナチス党は崩壊寸前でした。ドイツ経済は1920年代初頭の壊滅的なハイパーインフレから回復し、新たな楽観主義が根付きつつありました。1928年の選挙では、ナチスが国会で獲得したのは491議席のうち12議席にとどまりました。ところが、その後世界恐慌が起こりました。何百万人ものドイツ人が職を失い、経済の衰退は底なし沼のように見えました。すると、1930年9月の選挙で、ナチスは577議席中107議席を獲得しました、そうして、ワイマール共和国の解体に着手することになったのです。

   1930 年代と 1940 年代の経験は覚えておく価値があります。中央銀行が世界恐慌レベルのイベントを回避するために市場に流動性を供給するとき、その第一の目的は株価を支えることではなく、人命を救うことです。第二次世界大戦とそれがもたらした惨禍のすべては、世界恐慌がなくても発生したでしょうか。おそらく、発生しなかったでしょう。では、もし世界中の中央銀行や政府の政策立案者が2020年や2008年のパニックを止めることができなかったら、同様の惨事が発生していたのでしょうか。その可能性は十分にあります。

グレートインフレーションがもたらした惨状

   1960年代後半から1980年代前半にかけて発生した大インフレによる混乱は、アメリカに(大恐慌と)同じくらいの欠乏をもたらしました。インフレ率と失業率を合計したミザリー・インデックス(悲惨指数)は、これを反映しています。大インフレ時代で最悪だった年のミザリー・インデックスの数値は、大恐慌のときとほぼ同じくらい酷いものでした。1930年代の16.3%に対し、1968年から1982年の大インフレのピーク時のミザリー・インデックスの平均値は13.6%でした。

blog592-2.png   経済的な困窮が人々の不満を募らせ、ひいては市民の不安や暴力をもたらす結果となることは歴史が証明しています。それは、実際1960年代後半から1970年代にかけての大インフレのさなかに米国で起こったことです。まさに、大インフレが引き起こした惨状は大恐慌のときよりも陰湿なものでした。経済的に破綻すれば、それが困窮を引き起こすというのは分かり易いです。ところが、物価高騰が続くことによって徐々に募っていく不安は、分かり難いものです。その意味で、長期的なインフレーションを押さえ込むためには、一時的な激しい痛みもやむを得ないとしたポール・ボルカ-の先見性と勇気が必要だったのです。

Fedへの共感

   Fed をはじめとする公務員は批判されやすいですが、彼らはその責任を真剣に受け止め、その決断が何百万人もの人々の生活に影響を与えることを理解していると思います。パンデミックに対する彼らの迅速な対応のお陰で、米国経済が再び大恐慌に陥ることを防ぐことができました。そして、今現在、彼らの取組みは、世界恐慌の再来を防ぐために向けられています。大恐慌も大インフレも、誰1人として繰り返したくはない出来事です。

   これからの1年間、米国経済が正常な状態に戻るまでには、間違いなく、さらに多くの痛みを伴うことでしょう。そして、そうなった場合、新たな課題が持ち上がってくることでしょう。私は、Fedが何とか針に糸を通し、上手にソフトランディングに持って行くことを祈っています。でも、もし失敗したとしても、それは性格的な欠点や専門家としての無能さによるものではないでしょう。それは、その任務がほとんど不可能だからです。私たちに求められていることは、目先の痛みをFedのせいにするのではなく、インフレ率を2%の目標に戻すことが最も重要な優先事項であることを肝に銘じ、目を離さないようにすることです。

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執筆者

Mark J. Higgins, CFA, CFP                       

(翻訳者:大濱 匠一、CFA)

 

英文オリジナル記事はこちら

https://blogs.cfainstitute.org/investor/2022/09/22/the-inflation-game-war-peace-and-the-perils-of-central-banking/

 

注) 当記事はCFA協会(CFA Institute)のブログ記事を日本CFA協会が翻訳したものです。日本語版および英語版で内容に相違が生じている場合には、英語版の内容が優先します。記事内容は執筆者の個人的見解であり、投資助言を意図するものではありません。

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