602

CFA協会ブログ

No. 602

2022年12月9日 

ゴールベース・ポートフォリオ理論はいかにして生まれたか

How Goals-Based Portfolio Theory Came to Be

フランクリン・J・パーカー、CFA(Franklin J. Parker)

 

 

以下の論稿は、今年ワイリーから出版されたGoal-Based Portfolio Theoryゴールベースポートフォリオ理論)(著作者:フランクリン・J・パーカー、CFA)の抜粋です。

 

「一つのテーマに関する知識体系を樹木になぞらえる人がいると言われます。もしそれがよくイメージできないようであれば、頭の中に幹のない木があると考えてみましょう。つまり、あるテーマについて何か新しいことを学んでも、寄るべき幹が無ければ、身に付くことは無いのです。」-ティム・アーバン

 

いくつもの可能性から一つを選ぶ際、どれを選ぶべきか?この単純な質問が、多くの人間を悩ませてきました。現代経済学は、この基本的な問いに答えようとする試みから始まったのです。ヨーロッパの富裕層はかなりの時間を持て余しており、実のところ、彼らは運に左右されるギャンブルに興じていました。ルネサンス期には、これらのゲームに対する伝統的な見方が変わります。彼ら貴族の中には、ランダム性を単に受け入れるのではなく、ランダム性を理解するためにゲームを数学的に分析し始める者が現われたのです。もちろん、それは純粋な数学的な興味によるものではなく、仲間のギャンブラーよりも有利になり、それによってより多くの賞金を獲得しようとする試みでした!

 

当時の中心となる考え方は期待価値理論(expected value theory)に集約されていました。 期待価値理論において、ギャンブラーは利益または損失とそれらの確率の積を合計した値(すなわちipivi。ここでpvを得る/失う確率、iは結果の指数を表す)をもって、獲得できる賞金額の期待値を出します。たとえば、六面体のサイコロの目が偶数の場合に1ドルを獲得し、奇数の場合に1ドルを失う場合、ゲームの期待値は、1/2×1ドル + 1/2×(–1ドル) = 0ドルとなります。

 

1738年、ダニエル・ベルヌーイがこの考えに異議を唱えました。思考実験として、彼はあるゲームを提案しました。プレイヤーには最初に賭け金が2ドル与えられ、コインが繰り返し投げられます。表が出るたびに賭け金は2倍になり、コインが裏になるまでゲームを続けることができます。裏が出た段階で、プレイヤーは2nドル(nはコインを投げた回数)の賞金を獲得し、ゲームは終了となります。ベルヌーイの問いは、プレイヤーがこのゲームをプレイするのにいくら払うべきか、です。

 

ゲームの見返りは無限となるため、期待価値理論をこの例には適用できません!このゲームをプレイするために無限の金額を支払う者などいないことは明白ですが、それはなぜなのでしょうか?ベルヌーイの答えは、限界効用理論を初めて垣間見せるものでした。この理論はすべての現代経済学を支えるものとなります。

 

「ですから、リスク価値の有効な測定指標は、以下の検討なしに得ることはできないのです。すなわち、その効用、つまり特定の個人に生じる利益の効用、または逆に言えば、ある所与の効用を生み出すのに必要な利益がどの程度かを考慮しないと、リスクの価値を得ることはできません。しかし、ある財がもたらす効用は状況により変化する可能性があるため、厳密な一般化は困難です。ですから、ある同等の利得から得られる効用は、貧乏人の方が金持ちよりも高くなるのですが、次の例を考えることもできるのです。すなわち、2000ドゥカート(訳注:20世紀後半まで欧州で使用された硬貨の単位)を有する金持ちの囚人が、自由を取り戻すためにさらに2000ドゥカートを必要とする場合、2000デュカートから得られる利得の価値は、彼よりも資金を持たない人が感じる価値よりも高くなると考えられます。」

 

人は富の変化を直線的に評価するのではなく、最初のドゥカートよりも次のドゥカートの価値を低く評価するという考えが、あらゆる現代経済学の扉を開きました。ベルヌーイは、富の効用に関する対数関数性、すなわち利得が増大するにつれて効用が逓減する関係性を提起しました。そうです、この関係性が(前述の)パラドックスを解決するのです。人々がゲームをプレイするために無限の金額を支払わない理由は、その富から無限の効用を得ることができないからです。ある1単位の金額の価値は、その前に得る1単位の金額の価値よりも小さくなります。これが限界効用の本質であり、現代経済学の基礎です。

 

しかし、この議論のさらに興味深い点は、ベルヌーイがゴールベース・アプローチによる効用理論を初めて垣間見せたことです!ベルヌーイは、富の絶対的な価値ではなく、富が私たちにもたらすものが何かを考えなければならないと指摘しています。言い換えれば、私たちが気にかけているものは現金そのものではなく、現金が現実の世界で何を表しているかです。すなわち、「ベルヌーイの囚人」のケースでは刑務所からの解放であり、その他の人々にとっては交通、住居、余暇、食べ物などです。そのお金で何をしたいかは、ベルヌーイのゲームをプレイするためにいくら支払うかを考える上で重要な検討事項です。この考えは、2013年にノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラーも同様に提唱しています。「ファイナンスは単なる金儲けの手段ではなく、私たちの深遠な目標を達成し、私たちの労働の成果を保護するものです。」要するに、投資は決して抽象的になされるものではありません!投資は常にゴールベースであるべきものです。

 

合理的選択を支持する理論が開発されるまでには、さらに2世紀を要します。ジョン・フォン・ノイマンとオスカー・モルゲンシュテルンは、1944年に『ゲームの理論と経済行動(The Theory of Games and Economic Behavior)』を著し、合理的選択に関するすべての理論構築の基礎となっています。フォン・ノイマンは数学者で(あり、そして当時、数学者としても優秀で)した。彼らがもたらした貢献は、現実に起きる基礎的なアイデアを超えて、人間の選択理論に数学的厳密さを適用したことです。

 

1948年、ミルトン・フリードマン(後に1976年のノーベル経済学賞を受賞)とレナード・サヴェッジは、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの合理的選択理論が経済的な難問、「なぜ人々は保険と宝くじの両方を購入するのか?」、に与える影響を探求しました。一般的に合理的選択理論では、個人は分散を嫌うと想定します。そのため、同じ事象に対して分散の回避性と分散への共感性の両方を選好する人が存在するのは厄介な事実です。これはその後、フリードマン=サヴェッジのパラドックスとして知られるようになりました。そしてこの解決策は、個人の効用曲線を滑らかな曲線ではなく、多数の相互につながる曲線で表す必要があるというものでした。つまり、それは「波状」になっていなければならず、富と所得の範囲全体で凹面と凸面を繰り返します。これは二重変曲ソリューション(double-inflection solution)として知られています。(効用曲線が凸型の場合には分散を回避し、凹型の場合には分散を愛好します。フリードマンとサヴェッジの解決策は巧妙であり、実際、ハリー・マーコウィッツの1952年の論文「富の効用(The Utility of Wealth)」で繰り返し言及されました。)実はこれがゴールベース・ソリューションの原型でもあります。ゴールベース・アプローチの効用曲線も「波状」となっており、富の範囲全体で凹型から凸型に移行しています。

 

マーコウィッツが1952年に発表したもう1本の論文、「ポートフォリオの選択(Portfolio Selection)」は、提示された方法以上に、投資運用に対する統計手法の初の本格的な応用という点で画期的なものでした。マーコウィッツ以前は、投資運用はボトムアップ的な仕事でした。すなわち、ポートフォリオは多くの個別証券に関する個々の意思決定の集合に過ぎませんでした。ベンジャミン・グレアム(Benjamin Graham)の『賢明なる投資家(The Intelligent Investor)』は顕著な例です(ただし、決して当時唯一のアプローチではありません)。彼の古典的なテキストのどこにも、ポートフォリオ内のさまざまな投資がどのように相互に影響し全体を構成するかについてグレアムが関心を持っている箇所はありません。 というより、投資家自身が、簡単に言えば、魅力的な投資機会を見出し、それらをポートフォリオに追加して、使い古したアイデアを置き換えているのです。したがってポートフォリオは、これらの多くの無関係な意思決定の結果の集合体となります。

 

マーコウィッツは、ポートフォリオに統計的手法を適用し、投資家がポートフォリオ全体の視点から個々の投資機会を評価することを提案しました。それにより、 (a) 投資家が同じ金額でより多くの成果を上げられること、および(b) 定量的手法が投資運用に重要な役割を果たすことを示しました。これらのブレークスルーは、今日も有効なものです。

 

もちろん、マーコウィッツだけが議論を提起したわけではありません。マーコウィッツが画期的な論文を発表したのと同じ年に、アンドリュー・ロイ(A. D. Roy)は「安全第一主義と資産保有(Safety First and the Holding of Assets)」を発表しました。皮肉なことに、ロイの論文は、現代ポートフォリオ理論として知られるようになったものと酷似しています。実際、マーコウィッツのオリジナル論文には、今やおなじみの効率的フロンティアが登場する箇所はないものの、ロイの論文には、効率的フロンティアの原型だけでなく、資本市場線や、さらには初期バージョンのシャープ・レシオまでもが掲載されているのです!さらにロイの分析では、全体的に、個人投資家は現実世界で「安心感」を決して持っていないという考えが貫かれています。つまり、個人投資家は決してすべての情報を持っているわけではなく、単純に利益を最大化しようとしているわけでもありません。むしろ、個人投資家は利益を最大化するとともに、苦労して獲得した成果を台無しにする可能性のある地雷を回避しようとします。

 

「多くの経済理論に対する正当な反論は、それが適用しやすく安全な前提のもとに作り上げられたものであるということです。この人為的な安心感を払拭するために、経済理論は、海図が不十分な海域での航行もしくは悪条件のジャングルでの操縦と(いう現実と)、(理論で導き出される)経済視点の世界との間に非常に密接な類似性があるものとして論じる必要があります。実際に行われる投資決定では、富をいくばくか増やすことで満足度の最大の純増効果をもたらすかどうかを考慮することはありません。むしろ、不確かな場所にある既知の岩を回避したり、次の瞬間に予期せぬ事態が生じても災害を全体的に回避できるように戦力を配置させたりすることを考慮に入れるのです。経済上の生存が常に当然のことと考えられているとしたら、不確実で冷酷な世界で適用可能な行動ルールを発見することなどできません。」

 

マーコウィッツの考え方は、1950年代、1960年代、1970年代に十分な資金量を誇った年金制度や保険会社にとっても大きな魅力がありました。これらの機関は、年金受給者や株主の目的をより上手く達成する方法について議論する研究に資金提供を行う財力と関心を有していたのです。そのため、ポートフォリオ理論は、個人投資家ではなく機関投資家を念頭に置いて開発されたと言えます。何年もの間、その違いは無視できるものであり、研究する価値はないと考えられていました。結局のところ、ポートフォリオの価値が10億ドルであろうと10万ドルであろうと、統計の値は変わらないからです。

 

しかし、現代では理解されているように、10億ドルの年金基金と10万ドルの投資口座との間には顕著な違いがあります。驚くべきことに、ロバート・ジェフリー(Robert Jeffrey)とロバート・アーノット(Robert Arnott)が機関投資家志向のポートフォリオ理論に対して攻撃の口火を切ったのは、マーコウィッツが称賛に値するノーベル賞を受賞してから3 年後の1993年になってからのことでした。彼らの論文は、「あなたが稼ぐアルファは税金をカバーできるほど十分なものか?("Is Your Alpha Big Enough to Cover Its Taxes?)」と題されていました。

 

「ポートフォリオ運用をより効率的に行うために、多額の資本と知的エネルギーが長年にわたって費やされてきました。しかし、これらの取り組みのほとんどは、年金基金、財団、基金などの非課税投資家に向けられています。米国の市場で取引されているポートフォリオ資産の約3分の2の所有者にとって税金は主要な考慮事項であるにもかかわらず、です。」 (強調は原文のまま)

 

著者らはさらに、課税対象の投資家がタックス・ドラッグ(注:実質的な税負担率)を後付けとしてではなく、投資戦略の中心的な関心事としてどのように考えることができるかを議論しています。ゴールベース・ポートフォリオ理論の発展の歴史において、彼らの研究は、個人投資家とポートフォリオ理論が開発された投資家、すなわち機関投資家との間の相違点を体系的に是正した最初の研究の1つでした。そうです、たとえ統計ツールが同じであったとしても、課税対象の投資家にとってポートフォリオの結果が合理的に異なる可能性があるという最初の手がかりを与えたのです。

 

言うまでもなく、1990年代初頭までに、行動経済学革命が本格化しました。その10年前の1979年に、ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)とエイモス・トベルスキー(Amos Tversky)は、経済学に多大な影響を与える心理学的研究の結果を発表しました。端的に言えば、人は金銭的利益の喜びを感じる以上に、金銭的損失の痛みを強く感じることを発見したのです。そして、人は発生確率を客観的に重み付けしていない可能性があるという観察結果を組み合わせることで、理論を完成させました。それが、カーネマンが後に2002年のノーベル経済学賞を受賞した理論として知られる累積プロスペクト理論(CPT)です。

 

リチャード・セイラー(Richard Thaler、2017年のノーベル経済学賞受賞者)は研究領域を広げ、メンタルアカウンティング(心の会計)の概念を開発しました。彼は、人々が精神的に富を異なる「バケツ」に分割しており、それぞれのバケツでは異なるリスク許容度を有していると提唱しました。メンタルアカウンティングは、フリードマン=サヴェッジのパラドックスなど、いくつかの行動上の難問も解決しました。もし人々が心の中で、生存目的用の富と、野心的な目的用の富を分けているとするなら、これらの異なるリスク許容度により、保険と宝くじの両方を購入する人々が生まれることが説明できます。1本の連結する「波状」の効用曲線ではなく、メンタルアカウンティングでは、人々が多くの異なる効用曲線を持っていることを示唆しています。

 

メンタルアカウンティングは、心理学者アブラハム・マズローの思想への先祖返りでもありました。人々はいかなる時も、複数の心理的、物理的欲求、すなわち食べ物、住居、安全、帰属意識、自尊心などに対するニーズを有するものです。物理的欲求が満たされていた場合でも、より抽象的な心理的欲求を満たそうとします。マズローは、これらの欲求は一種の階層構造で満たされると提起しました。最初に生理的欲求(食べ物、水、住居)が満たされ、心理的欲求はそれら生理的欲求が満たされた後でようやく満たされるのです。この概念は通常、ピラミッドの形状で図示されますが、マズロー自身はそれほど厳格に規定しておらず、人は人生の過程でこれらの欲求の優先順位を変えていく傾向があると述べています。例えば、人生の終末期にかけて承認欲求と自己実現欲求が高まる一方で、若齢期では生理的欲求の優先順位が高いと述べています。ただし、生理的安全性の感覚を破壊する事象が生じた場合、人は基本的欲求を満たそうとするため、より高い階層の目標は崩壊することになります。

 

メンタルアカウンティングは、マズローの見解を反映して、複数の目的に富を分割する投資家を最初に認識し、理論的に取り扱うものであったことから、ゴールベース投資の土台となりました。しかし、セイラーは、当初、メンタルアカウンティングを認知バイアスとし、不合理なものと位置づけていました。この考え方は、お金の代替可能性、すなわち手元のドルを別の同額のドルに交換可能であるという基本的な前提に反しています。またマーコウィッツが示したように、投資ポートフォリオをトップダウンで検討することが投資家にとって最善の方法であるという前提にも反しています。対照的に、メンタルアカウンティングは、ボトムアップ・アプローチへの回帰と見なされていました。人々は資金がどのメンタルアカウントにあるかにより、異なる方法で資金を扱うように振る舞う可能性がある一方で、伝統的な経済理論の観点から人々はそうすべきではないとします。ジャン・L・P・ブルネル(Jean L. P. Brunel)がこの問題を取り上げ、(精神上もしくは現実の)複数の口座への富の分割が必ずしも不合理または最適ではないことを実証するまでには、さらに20年近くを要しました。ブルネルの研究のおかげで、現在、メンタルアカウンティングという用語には2つの用法が存在します。1つ目は、人々がお金を代替可能なものとして取り扱わないという認知バイアスです。2つ目は、人々は自分の富をさまざまな目標に振り向ける傾向があり、それら複数の目的に応じて、さまざまな種類の投資や戦略を追求する傾向があるというものです。前者は不合理なものですが、後者はそうではありません。ゴールベース理論は、お金が代替可能であると想定するため、後者に関係するものになります。

 

ゴールベースのフレームワークを統合するのに役立つ最後のアイデアは、2000年に行動ポートフォリオ理論(BPT)を開発したハーシュ・シェフリン(Hersh Shefrin)とメイア・スタットマン(Meir Statman)が提唱しました。BPTはロイの安全第一基準を蘇らせ、そして、現代ポートフォリオ理論の「リスクは分散である」というパラダイムとは対照的に、BPTでは、「リスクとは最低要求リターンを達成できない可能性である」と提唱します。別の言い方をすれば、BPTでは、「リスクとは目標を達成できない可能性である」としているのです。私自身の人生の目標について考えるとき、これこそまさに私がリスクを定義する方法です!BPTのもとで、投資家は期待リターンと失敗確率のバランスを取ったポートフォリオを構築します。このポートフォリオは、平均分散アプローチによる効率的フロンティアに類似するものです。

 

その洞察内容にもかかわらず、BPTが主流となることはありませんでした。しかし、2010年にメイア・スタットマンは、サンジブ・ダス(Sanjiv Das)、ジョナサン・シールド(Jonathan Scheid)、ハリー・マーコウィッツと協働し、行動ポートフォリオ理論の洞察を現代のポートフォリオ理論の枠組みと融合させました。彼らは、空売りとレバレッジの制約がない限り(これは平均分散アプローチと共通の仮定です)、一定の閾値リターンに達しない確率は数学的に平均分散アプローチによるポートフォリオ最適化と同じものであることを示しました。この文脈では、投資家は所与の口座に対して受け入れ可能な失敗の最大確率を宣言するだけでよく、その指標はリスク回避パラメーターに「変換」でき、ポートフォリオの最適化は伝統的な平均分散アプローチの手法で進めることができるのです。さらに、彼ら研究者達は、富を複数の口座に分割することは必ずしも非合理的でも非効率的でもないことを相当の厳密性をもって示しました(ブルネルが2006年に提示した結果と同じです)。

 

2008年以降のめまぐるしい数年間、私は伝統的なポートフォリオ運用手法の有効性に疑問を感じ、2014年にゴールズベース投資の思考を取り入れることにしたのです。2008年に多くの人々が学んだように、当時の経験が教えてくれたことは、特定期間内に達成すべき特定目標を持っている個人にとって、数学の結果がもたらす意味はまったく異なるということでした。私は、かつてポートフォリオで損失を発生させたことに対するクライアントの抗議を拒んでしまい、非常に愚かであったと痛感しています。私が説明した理論に欠陥があることを、彼らは直感的に理解したのです。保険会社は、リスクが報われるまで5年間待つことができますが、退職を計画している個人は単純にそれができず、資産ポートフォリオを取り崩して生活している個人には5年待てる余裕はないのです。その経験をした後、私は1つの重大な疑問を持つようになりました。それは、「巨額の損失を被る前に、投資家は投資ポートフォリオでどれだけの損失を許容できるのか?」ということです。もちろん、市場は回復しますから、その点を懸念している訳ではありません。私の懸念は、クライアントが彼らの投資目標を達成するのに間に合うタイミングで回復するのかどうかでした。繰り返しになりますが、そこで私は先人が提起してきた考察を発見したのです。個人投資家向けのポートフォリオ理論が、機関投資家向けのポートフォリオ理論と異なることは合理的な話です。私の基本的な疑問に対する答えを誰も持っていないことに気付いた後、私は自分自身の答えを導き出し、その結果、最初の査読付き書籍を出版するに至ったのです

 

2008年以降に私が抱いていた基本的な疑問は、ゴールベース・ポートフォリオ理論の別の側面を示すものです。目標達成の可能性を最大化すべくポートフォリオを最適化することは重要ですが、全体を貫く信念はそれ以上に重要です。ゴールベース・ポートフォリオ理論の核心は、所与の現実世界の制約を考慮しながら目標達成の可能性を最大化するように資産を管理することです。これこそ、伝統的なポートフォリオ理論でしばしば無視されてきた「現実世界の制約」の要素です。投資家が無制限のレバレッジと空売りを利用できれば良いですが、そのようなことは無理な話です!投資収益率がガウス分布(正規分布)であったなら非常に望ましいですが、そんなこともありません。現実離れした仮定を現実であるかのように装い、実践が理論と一致しないことに驚いたふりをするのは、全くばかげた話です。理論が現実とは異なると認めなければならないとしても、決して現実に起こり得ない理論よりもうまく運用することはできるはずです。何よりも投資家は有用な理論を必要としています。

 

このような問題意識のもと、ブルネルはこれらのさまざまなアイデアを彼の著書「ゴールベース・ウェルスマネジメント(Goals-Based Wealth Management)」の中でまとめました。この書籍では、実務家が投資家の目標達成のために、どのように資産を管理すべきか、という問題を取り上げています。金融システムの鼓動の中心で何十年も過ごし、達成すべき真の目標を持つ現実世界の人々にサービスを提供してきたことから、ブルネルの研究は、「大きな世界」と顧客の世界で交差するものとして、独自のポジションを確立しています。運用会社がこれらのアイデアを拡張可能なソリューションとして体系化することは簡単な課題ではありません。彼の書籍ではこれらの実務的な課題にも同様に取り組んでいます。

 

ゴールズベース流のリスクの定義が広く受け入れられるようになると、次の主要な問題は、投資家がさまざまなメンタルアカウントにどのように(資源を)配分すべきか、ということでした。長年にわたり、複数の目標への資金配分は投資家がすでに実践していると想定されるため、実務家の仕事はそれぞれの目標に最適な方法で投資ポートフォリオを構築することでした。しかし、投資家が資産を複数の目標に合理的に配分できると期待するのは、やや認識が甘いでしょう。私心なく判断するため研究文献を調べたところ、現在いくつかのアプローチが存在することが分かりました。私の著作では、自分なりの解決策を提示し、他のいくつかの主要なアプローチに対する私の批判を簡単に述べています。しかし、これがあたかも解決済みの疑問であるかのように捉えてほしくはありません。他の研究者達が私よりも優れた解決策を提示する可能性はあります。その場合、私は本書で主張してきた見解を変更することでしょう。私の中で解決済みではあるものの、投資家が複数の目標に対していかに資金配分すべきか、という問題は未だ解決していません。

 

フランクリン・J・パーカーについてさらにお知りになりたい方は、Goals-Based Portfolio Theoryを参照の上、Directional Advisorsをフォローしてください。

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執筆者

Franklin J. Parker, CFA

(翻訳者:河野 俊明、CFA、CAIA、CPA)

 

英文オリジナル記事はこちら

https://blogs.cfainstitute.org/investor/2022/11/16/how-goals-based-portfolio-theory-came-to-be/

 

注) 当記事はCFA協会(CFA Institute)のブログ記事を日本CFA協会が翻訳したものです。日本語版および英語版で内容に相違が生じている場合には、英語版の内容が優先します。記事内容は執筆者の個人的見解であり、投資助言を意図するものではありません。

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