ドナルド・チューの近刊の著書「現代コーポレートファイナンスの誕生」(原題:The Making of Modern Corporate Finance)は、「応用コーポレートファイナンスジャーナル」(the Journal of Applied Corporate Finance)に論文を公表した人々への賛歌です。著者は同ジャーナルの創刊者であり現在も編集者を務めています。それは、自由な資本主義と商業の潤滑油である金融システムへの賛歌です。本書は多くの読者にとって興味深いものになると思われますが、何十年も前にCFAの資格を追い求め、日々の金融の発展を追ってきたにもかかわらず、今日のグローバルシステムを支える金融イノベーションの広大な全体像を見失ってしまった私のようなCFA資格保有者にとっては、必読の書と言えます。
本書の副題である「知の歴史と国富創出への貢献」は、本書のストーリー構成をうまく表現しています。それは、4つの「中核的主題」を通じて年代順に進んでいきます。
・投資についての企業の意思決定
・ファイナンスについての企業の意思決定
・全社的リスクマネジメント
・コーポレートガバナンスおよび投資家とのコミュニケーション
コーポレートファイナンスと社会的富を効果的に結びつけている日本についてのケーススタディーの章の後、ストーリーはフランコ・モディリアーニとマートン・ミラーによる1950年代終盤から1960年代初頭の「資本構成と配当の無効性」についての歴史的研究から始まります。投資家は、資本構成よりもむしろ収益力(少なくとも資本コスト分を稼ぎ出すプロジェクトへの投資)と企業のリスクをどのようにマネジメントするかに焦点を当てるべきなのです。資本構成がレッド・へリング(重要な事柄から人の気をそらさせるもの)であるならば、目先のEPS(1株あたり利益)にフォーカスすることもまた同様です。チューはひとつの良い例として、アマゾン(Amazon)の将来の収益力よりも四半期毎のEPSの数字にフォーカスした投資家を挙げています。
著者は、その堅実な内容の冒頭部に続けて、実質的所有者すなわち株主の利益に対するプロ経営者のエージェンシー・コストについての、マイケル・ジェンセンとウィリアム・メックリングのよく引用される論文について議論します。企業統制の市場において、経営者は収益力に焦点を当てるよりもむしろ成長を志向しています。このために、異なるセクターの企業買収や、1970年代のコングロマリットの肥大化が生じ、更に転じて、レバレッジド・バイアウト(LBO)や、最終的にはプライベートエクイティを通じた統制の再編が強化されるに至ったのです。
LBOのデット・ファイナンスによる巨額の利息の支払いは、経営者の注意を買収から業務効率性へと向けさせました。プライベートエクイティの企業構造は、役員の座をコントロールし、あるいはターゲット企業を公開市場から完全に排除することにより、ジェンセンとメックリングのエージェンシー問題を消し去りました。
モディリアーニとミラー、ジェンセンとメックリングとスチュワート・マイヤーズは、加重平均資本コスト(WACC)を割引キャッシュフローの手法に取り入れ、ひいてはプロジェクトの継続または放棄に関する企業の意思決定に組み入れることに貢献しました。クリフォード・スミスとレネ・ストルツは、株主リターンを最大化するための不可欠な要素としての企業リスクマネジメントの重要性を、その研究によって示しました。それぞれの理論の発展において、新たなツールの使用に熱心な実務家が存在しました。実務家の中には、ベネット・スチュワートの「経済付加価値」(EVA)の概念を採用した企業経営者も含まれており、結果として、一点集中的なEPS重視から様々な事業単位への責任のシフトと、収益力の重視が生じました。
また、現代コーポレートファイナンスには、経営者のためのコーポレートインセンティブの体系を再考することも含まれていました。プライベートエクイティが所有する企業の経営者の報酬がオーナー経営者と同じように支払われるのであれば(これはエージェンシー問題の解消に役立つということを思い出してください)、公開企業の経営者もまた同じように報酬を支払われるべきだと、チューは強く主張しています。報酬体系と金額が不十分であれば、公開企業は優秀なリーダーたちにとって単なる訓練の場となってしまうでしょう。彼らはプライベートエクイティの下でより良い報酬を求めるからです。チューは、長期的なインセンティブの最適な体系について詳しく議論しています。
最後に、コーポレートファイナンスの変革には、金融イノベーションをサポートする新たな市場の開発が含まれていました。CFA協会のファイナンシャル・アナリスト・ジャーナルおよびその他の出版物の長年の読者は、LBO関連の債務の急増を吸収したハイイールド・デット市場の開発への貢献において書評編集者マーティ・フリードソンが果たした重要な役割に、一章全体を割いて光をあてていることを見て嬉しく思うでしょう。
ここまで、本書の構成と内容について概説してきました。しかし、本書の中心ストーリーは米国の経済力です。蓄積された資本や軍事力ではなく、金融イノベーションとダイナミズムにあります。本書は、日本に関する章ではじまり、中国について、またその金融システムと米国の金融システムの違いについて書かれた終章で結ばれています。これまでのところ、中国は国家統制と引き換えにイノベーションとダイナミズムを差し出してきたので、中国の金融システムは期待するほどまでには達しておらず、西側諸国の資本市場の外観を装いながらも実質が伴っていないとチューは主張しています。
歴史と地理のたとえは示唆に富むものです。たとえば、今日拡大するテクノロジー企業は、アルファベット社と広告宣伝のようなシナジーを示すとともに、アマゾンの社のアマゾンウェブサービス(AWS)とオンラインのセールスポータルのようにいくつものビジネスライン間でサイロ化する状況も示しており、こうした類似点から1970年代のコングロマリットとの比較が可能です。
これらの企業の経営者は、ジェンセンとメックリングにより明らかにされたエージェンシー問題を解決し、より良いガバナンスとより規律のある経営をつくり出してきたでしょうか?多くの企業がデュアルクラスストラクチャーの株式を有しており、その統制はプライベートエクイティモデルに傾斜して近づいていますが、チューが指摘するとおり、その効果は期限付きかもしれません。株主は、優れた成長が続く間は創設者の統制を受け入れるかもしれませんが、最終的には1株1票体制への転換を主張するかもしれません。
巨大なテクノロジー企業の事業領域の拡張は、市場集中および独占ないし寡占の利益のような他の要因を反映しているのでしょうか?これは、チューが扱おうとするテーマとは明らかに異なります(ティム・ウーの著書、”The Curse of Bigness”(邦題:巨大企業の呪い:ビッグテックは世界をどう支配してきたか)をご一読ください)。チューが米国株式市場の高い評価を米国の金融ダイナミズムと結びつけるとき、新たな疑問が生じます。チューが説得力のある主張を行う一方で、市場史の専門家たちは、米国および世界の株式市場が時の経過とともにシーソーのように変動してきたことに注目するでしょう。
チューは本書を通じて、富を生み出し環境と社会の問題を緩和する米国モデルの優越性とコーポレートファイナンスの力を強調しています。この目的のために、チューはESGに関する問題と企業や取締役会にとっての重要性について思慮深い議論を本書で行っています。それでも時折チューのコメントは、問題に対処する企業の役割に関して大雑把で断定的に過ぎており、企業が依拠するルールやインフラを提供する政府の役割を過小評価しています。そもそも多くの問題が企業活動から生じており、ステークホルダーや政府の問題解決を図る行動力なしでは対処できなかったかもしれないのです。
本書の細部へのこだわり、思慮深く魅力のある構成、生き生きとした逸話を踏まえれば、なるほどこれは小さな不満に過ぎません。凡庸な著者であれば退屈な教科書になっているであろうとことを、チューの専門的な筆力によって、コーポレートファイナンスと米国の変わらぬ卓越性を歴史的に概観した素晴らしい書籍に仕上がっています。もしもあなたが、ピーター・バーンスタインによるリスクと資本市場に関する以前の作品を好むようでしたら、間違いなく本書「現代企業財務の誕生」を楽しめることでしょう。
執筆者
Ian Robertson, CFA
(翻訳者:荒木 謙一、CFA)
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注) 当記事はCFA協会(CFA Institute)のブログ記事を日本CFA協会が翻訳したものです。日本語版および英語版で内容に相違が生じている場合には、英語版の内容が優先します。記事内容は執筆者の個人的見解であり、投資助言を意図するものではありません。
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